自分で言うのも何ですが、非常におもしろい経歴があります。その詳細を下記に記します。 お時間があれば読んでみてください。
1.転職 手始めに電気工事会社(作業内容はかなりの肉体労働)、溶接作業員(見習い程度のペイペイ)、金属部品の熱処理工場(死ぬほど熱かった)、土建会社(ほとんど使い走り)等、様々な仕事やアルバイトを経験し、機械設計の会社に就職。 2.出向 工業高校卒だったので、主に製図(ドラフターで手描きの時代)作業に従事。 絵を描くのが好きなせいか、図面の見栄えは周りから高い評価をいただいたし、実際、描いていると楽しかった。 その後2社ほど設計会社を渡り歩き、最後に長年お世話になった設計会社に就職。 会社としては一つなのだが、ここでも実に様々な経験を積むことに。 この会社は設計会社と言っても総合エンジニアリング会社だったので、機械設計、プラント設計、電機設計、回路設計等、様々な設計を行っており、他にも弱電製品の筐体設計や機構設計、取扱説明書やサービスマニュアル等のドキュメント制作の部署と実にバラエティに富んだ部署があり、私が最初に入社したときには、地元の大手電気製品メーカーに派遣社員として出向することになった。 この出向先では、樹脂製の筐体部品を寸法通りに仕上がっているかの検討が主な業務だったので、三次元測定器や工学系寸法測定器、ノギス、マイクロゲージ、シックネスゲージ等、色々な装置・用具を使って、毎日のように寸法測定を行っていた。 今にして思えば現在の3D-CGも三次元なので、やはりなにか運命的なものがあるのかと思ったりもする・・・。 3.イラスト制作との出会い しばらくして、出向期間も終わって自社に戻り、機械製品のサービスマニュアルを作る部署に配属された。 ここで初めてテクニカルイラストレーションと出会った。もともと絵が好きだし、形状を頭の中で三次元化するのが得意だったので、しばらくの間はこの仕事にのめり込み、相当楽しく仕事をこなしていた。(上司にも恵まれ、自分のやりたいようにやらせてくれた) その後、何年か線画のイラスト制作を続けて情熱も落ち着き、仕事に対する視野も広がったとき、建築物の完成予想図(俗にいうパース)という仕事があることを知り、線画だけではもの足らなくなってきた時期でもあったので、かなりその仕事に興味が湧いた。(まだイラストと言えば手描きの時代) しかしである、絵を描くのが好きだったくせに、実は絵の具を使って色をつけるのは苦手で、彩色するとそれはもうヒドいものであった。(笑) それで結局一度はあきらめて、普段の仕事を淡々とこなしていく日々が続いた。 4.自問自答 なのに、それからというもの、「描きたい」気持ちと「自分にはできない」という気持ちがせめぎ合い、葛藤する日々が続くうちに段々とこう考えるようになった。というか自分に対して自問した。 「このままあきらめていいのか。本当に後悔はないのか。練習はそんなに嫌か。未来に希望を持ちたくないのか」と。 それよりも「やりたくないのか」と。 それで達した結論。初心に戻り絵の具を使ってパースを描く練習を始めることだった。 文章に書くと簡潔だが、実に長い期間、様々な葛藤や試行錯誤があった。 5.試行錯誤 で、練習を始めたが、とにかく学生時代、絵の具を使うのを相当嫌がって手を抜きまくっていたため、最初は水にどの程度溶かせばきれいに塗れるのかといったレベルからのスタートだったので、何度も投げたくなったものである。 練習は自宅でも行っていたが、なかなか自宅ではモチベーションが上がらず、かえって人に見てもらい、批判を受けながらの方がいいかと考え、主に会社の昼休みと、終業後に場所を借りて行った。 やはりというか、始めた当初のレベルはヒドいもので、同僚が覗き込んでも、いかにもコメントできないといった顔で立ち去っていた。だが、それでいいのである。(と、自分に言い聞かせた・・・笑) しかし、石の上にも三年というか、自分で気がつかないうちにそれなりに上達しており、同僚や上司もいろいろとコメントをくれるようになったので、さらにレベルアップを目指した。 でも、毎日昼休みにまったく休憩せずしこしこと絵を描いていると、自分はいったい何をしてるんだということを考えたりもしたし、周りからも変人扱いだったかもしれない。(笑)それでも終業後のことはあまりみんなは知らないので、まだマシだったかもしれないが、やっぱり変わり者?。 6.目標の変化 時期が重なっているが、実は途中からテクニカルイラストを描く仕事から、弱電製品の筐体設計の仕事に業務内容は大幅に変化していた。一見、絵を描く仕事からズレてしまった感じもするが、筐体設計において作業のスタートは、工業デザイナーが描いたデザインスケッチを見ながら、図面に起こして行くスタイルだったので、デザインスケッチを眺めるのも楽しかったし、最初に書いたように図面を描くのも好きなので、しばらくの間は満足とまではいかないものの、それほど嫌な思いをせずに仕事をしていた。(このときも上司に恵まれたし) しかし、これまたしばらくしているうちに、デザイナーが描いたスケッチを見て、「自分がやりたいのは図面じゃない、こっちがしたい」と考えるようになった。(はじめの頃は、これは自分とは違う世界の人間の仕事だなって思っていたのに・・・) それで思いが募って、ついに上司に相談したが、当然、美術系の学校を出ている訳でもなく、実績もなにもない部下に対して、「うん、いいよ」という上司がいるはずがなく、あっけなく却下。 このときは結構目の前が閉ざされた気分になったものである。しかし、しばらく凹んでいたが、いつまでもそうしている訳にも行かないし、なによりもまた「なんとかしたい」という気持ちが強くなったので、あらためて考えてみた。 今自分にできることはなにか。まさか学校に行き直す訳にもいかないので、ひとまず、デザイナーが描いたスケッチや参考に買った書籍を見ながら、独学で練習し、勉強した。実にいろいろとやった。 で、例のごとくまた会社の昼休みと終業後に練習を黙々と続けていたが、やはり上司は見ていないようで見ているもので、ほんの少しずつではあるが、客先には内緒で仕事をさせてくれるようになった。 しかしながら、やはりというか、工業デザインというものを理解していなかったため、そんな作業も結局途中から専門の外部デザイナーに尻拭いをしてもらうはめになったこともあった。 もちろん、普段の仕事は筐体設計である。 この頃には図面も手描きではなく、コンピュータを使った「CAD」に進化していた。 7.最初のコンピュータ もともと設計をCADで行うようになる前から、なぜかパーソナルコンピュータというものに惹かれて、初期の頃のパソコンを自宅に趣味で買ったりしていた。その時代はBASICというプログラミング言語を使い、自分でプログラムしたソフトを走らせるのが一般的で、現在のようにアプリケーションソフトを購入して使うという時代ではなかった。 そのころから徐々に「CG」の存在は知っており、絵を描くのが好き、コンピュータも好きということで、当然のように自分でもCGを描きたくなった。しかし、残念ながらその当時のパソコンはとてもCGを描けるほどの能力も環境もなかった。ほとんどワープロとして使っていたぐらいで。結局一度はコンピュータに対する情熱も冷め、売り払ってしまった。 もちろん、この時期も会社ではしこしことデザインスケッチの練習を重ねていた。 8.CGツールとしてのコンピュータ しばらくして、時々ではあるがデザイン業務をこなせるようになったころ、上司がある1枚のデザインスケッチを私に見せた。それは他社によりCGで描かれたデザインスケッチだった。上司いわく、「これからは手で描く時代じゃないかも」と言われた。これは決定的だった。ある意味、現在の仕事のスタイルのルーツになる話である。 この意見には私も同感だったし、もともとコンピュータが好きだった過去も蘇ってきたので、あらためて調べると、数年間コンピュータから離れているうちに随分進歩して、ついに実用レベルのCGがパソコンで描けるようになっていた。 ただ、当時はまだパソコンは高価で、CGを行えるのは上位機種だったのでなおさら高く、最初は上司がコンピュータショップに相談し、CGソフトを新規購入する条件で、そこそこの機種を貸出していただいた。 早速、むさぼるように取扱説明書を読み、サポートセンターに問い合わせながらCG制作技術をマスターしていき、ついに途中からデザインスケッチもCGでプレゼンするようになったのである。 (しかし、仕事には納期というものがあるので、切り替え時期が非常に難しく、不慣れなせいもあって、CG制作の途中にかなり焦ったことも度々あった) これが私のCG制作スタイルのプロトタイプになっている。 9.CGイラスト 筐体設計の仕事をしている途中に、だんだんとCGのスキルアップが実感できるようになったことも手伝って、次第に設計業務に非常に違和感を覚えるようになっていった。ある程度の期間その部署で進路を模索していたが、やはりどうしても部署としての目標とのズレが顕著になったので、熟慮した上、その当時の上司に相談し、ドキュメント制作の部署に変えてもらえるようお願いし、今回は自分のわがままで異動させてもらった。 異動した部署は、デザインやイラストに近い業務内容ではあるものの、そんな人間を必要としていた訳ではないので、当然ながら、仕事としてのCGは一旦休止となる。 普段はDTPデザインを行いながら、またもやいつものパターンで空いた時間にCGソフトをインストールしたパソコンを使わせてもらって、CGのスキルを上げて行った。(この時期は、半分趣味の感覚だった) しばらくの歳月が流れ、ドキュメント制作の部署でも今後の武器になるものはないかとアンテナを張り巡らせていた時に、たまたま上司が昼休みに私が描いていたCGアニメーションを見て、「これを仕事に使おう」ということになった。 私にとっては実をいうとそれを狙ってはいたのだが・・・。(笑) 10.独立 かくして、大手を振って仕事としてCGに取り組めるようになり、徐々に仕事としてのCGのウエイトが大きくなって行った。それと同時に私の中に独立心が芽生え、「いつかこれで食って行きたい」と考え始めた。 しかし、独立するにはまだまだレベルが十分でなく、準備するものもいろいろあるし、なにより決心がなかなかつかなくて、数年間を費やした。 で、スキルもそれなりに上がり、営業的なこともできる自信がついたある日、ついに思い立って現在に至る。 現在のCG制作の上でも大変役に立っているのが、最初に書いた転職の数々や、社内での様々な業務経験。 特殊な設備や構造など、メカニカルなCGを作る上で非常に便利な知識で、重宝している。 人間、将来何が役に立つか分からないものである。(笑) 11.進化との戦い 独立して現在までとりあえず順調に来ているが、とにかく進歩の速い世界なので、現在でも常に新しいことにチャレンジしたり勉強したりしなければならないので、なかなか大変である。なにより進歩のスピードが速すぎる。(笑) しかし、同時にやりがいも感じている。 CGに限らず、どの仕事でもスポーツでも同じことが当てはまるなぁと、思う今日このごろです。 以上 |